信じる心を失った大人たちに送るクレイジーなクリスマスムービー!『バイオレント・ナイト』感想・考察

こんにちは、映画好き大学生のらー@daigakuseieiga)です。

今回は映画『バイオレント・ナイト』の考察をしていきたいと思います。

『バイオレント・ナイト』が持つテーマ、僕たちに伝えているメッセージは何なのか、これらのことについて考えます。

ではいきましょう。

注意

この記事は『バイオレント・ナイト』のネタバレを含みますのでご注意ください。

荒んでいくサンタの心とクリスマス

この作品はR15指定ということで大人向けに作られた映画なのですが、クリスマスを題材にしていてサンタクロースが主要キャラとなっています。

しかし、サンタクロースが実在していると信じている大人などいるのでしょうか。

現代に生きる人のほとんどは小学校高学年から中学校に入ったあたりでサンタさんなどいないということを知ることになると思います。

それにも関わらず、大人向け映画で子どもの頃の幻想とされているサンタクロースを主役にする

一見理解不能にも感じるこの作品設定ですが、

R15指定の作品でサンタクロースを描くことこそに大きな意味があると僕は思います。

信じる心を失った大人たちへの風刺、これが『バイオレント・ナイト』のテーマなのではないでしょうか。

作品の冒頭で、バーに主人公のサンタクロースの他にもう一人サンタの姿をした男性がいましたが、彼はクリスマスの期間にサンタの格好で店頭に立って客引きのアルバイトをしている人物でした。

そして彼は「(サンタの格好になるのは)金のためだろ?」と主人公のサンタに問いかけます。

彼は主人公が本物のサンタクロースであることを知らないので仕方ないのですが、「サンタクロース」という存在がすっかり金儲けのための道具となってしまっているということをこの場面は表しているのではないかと思いました。

また、サンタが家を飛び回ってプレゼントを届ける場面においても、子どもがお願いしたプレゼントが「現金」であったりクリスマスツリーの下にAmazonの箱が大量にあったりと、クリスマスに商業主義が蔓延しているリアルな様子が描かれていました。

サンタ自身も嘆いているようにサンタクロースの存在を信じる者が誰もおらず、お金目当ての大人たちに利用されてしまっていることでサンタの心は荒れ果ててしまい、彼自身も飲んだくれながら適当にプレゼントを運ぶようになってしまいました。

このように荒んでいくサンタの心が、荒んでいくクリスマスの様子を描いているのではないでしょうか。

そして、「飲んだくれのサンタ」という描写も、サンタクロース、ひいてはクリスマスが子どもの輝かしい幻想からどろどろした大人のためのイベントになってしまっていることを表していると考えられます。

大人目線のクリスマスストーリー

また、人々が信じられなくなったのはサンタだけではありません。

それはクリスマスストーリーです。

家族で楽しむクリスマスストーリーも、今や「ありえないフィクション」として楽しむことができない人々がいます。

そのような人たちに対してのメッセージを『バイオレント・ナイト』は含んでいると思いました。

それでは『バイオレント・ナイト』で意識されていたクリスマスストーリーとして挙げられていた『ホーム・アローン』『クリスマス・キャロル』について考えてみましょう。

まず、『ホーム・アローン』についてですが、『バイオレント・ナイト』でこの作品を観たトゥルーディが真似をしてトラップを仕掛けています。

『ホーム・アローン』を観たことがある人なら分かると思うのですが、この作品には食らったら無事では済まないようなトラップが多数存在しており、登場する強盗犯に対して「よく生きているな」思うシーンがたくさんあります。

子どもなら無邪気に笑えるシーンなのですが、大人目線だと「ありえない」と思ってしまって楽しめないことがあります。

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こちらの記事でも話しているのですが、そんな大人たちに対して『バイオレント・ナイト』では、食らったら無事では済まないようなトラップを本当に無事で済まなくする(あの世へ葬る)ことで、「これで満足でしょ?」と風刺的に問いかけているのだと考えられます。

次に、『クリスマス・キャロル』についてです。

『バイオレント・ナイト』で敵方のボスである男が自身を「スクルージ」と名乗っていましたが、このスクルージというのは『クリスマス・キャロル』の主人公の名前です。

『クリスマス・キャロル』のスクルージは元々お金第一主義の強欲な人物でしたが、最終的に改心し人々に対して親切な人物へと変わりました。

しかし、親切よりもお金の方が大事であり、『クリスマス・キャロル』を偽善話として信じることができない人もいるのではないでしょうか。

『バイオレント・ナイト』の方のスクルージもそうでした。

彼は、ライトストーン家に隠されてあるという噂の3億ドルを盗むため、つまりお金目当てに人々を襲っていました。

このことから『バイオレント・ナイト』のスクルージというキャラクターは『クリスマス・キャロル』を読んだ大人の「いやいや、お金の方が大事でしょ」という気持ちを代弁している人物だと言えるでしょう。

不信の時代とスマートフォン

ここまでサンタ、クリスマスストーリーと人々が信じられなくなっていったものたちをあげてきましたが、このように人々が信じられなくなるものが増えていった結果、最終的に世界自体が信じられないものになってしまったと『バイオレント・ナイト』は主張しています。

これはガートルード・ライトストーン(トゥルーディのおばあちゃん)が自身を救助するはずだった部隊が裏切ったことを知ったときに、「今は不信の時代」と言ったことからわかります。

この言葉はサンタクロースだけでなく、世の中自体が信じられないことだらけになったことを表しているのではないでしょうか。

そして「世の中が信じられないもので溢れてしまったことの象徴」として描かれているのがスマートフォンです。

作中で少年がスマートフォンを使って配信を行う様子が物語の序盤、中盤、ミッドクレジットシーンと、不自然なほど多く描かれていることに気付いたでしょうか。

単に子どもの承認欲求が強いことを表すだけなら1回だけ描けばいいはずです。

それにも関わらず3回も描写されているということは、このスマートフォンを使った配信という行為に子供の承認欲求ということ以上のメッセージ隠されていると考えられます。

そしてそのメッセージとは「スマートフォンこそが不信の原因」というものだと思います。

スマートフォンでの配信によって子どもでさえも簡単に情報を発信・受信できるようになり、その情報には「サンタは親である」というものも含まれています。

そしてその情報によって子どもがサンタクロースの存在を信じなくなる原因となっている。

これは大人にも当てはまり、たくさんの情報を発し、受け取ることで大人は世間を信じられなくなる。

つまり、スマートフォンで誰でも簡単に情報を発信・受信できるようになったことで人々は信じるということができなくなってしまったというのをスマートフォンを使うシーンは描いているのです。

サンタを信じろ!!!

このように、不信の時代を迎えた現代を風刺した『バイオレント・ナイト』ですが、

そんな時代だからこそサンタを信じろ!」ということを結局は伝えたかったのではないでしょうか。

このことはサンタを信じずお金のために悪行の限りを尽くしたスクルージが悲惨な末路をたどり、ラストの場面でサンタを信じると言った(割と悪いことをしている)ライトストーン一家がハッピーエンドを迎えたことから考えられます。

また、サンタが持っていた悪い子リストにはスクルージが悪い子である理由に「サンタが大嫌い」ということも書かれていました。

つまり「サンタが嫌い」「サンタを信じない」人は悪い子で、「いい子でいたいならサンタを信じろ!!!」というのがサンタ、および『バイオレント・ナイト』の言い分であり、一番ありえなさそうなサンタを信じることができれば他のことも信じれるようになる、だからサンタを信じろというメッセージを『バイオレント・ナイト』は僕たちに伝えているのです。

おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました。

当ブログ「男子大学生の映画部屋」ではこの他にも映画の感想や考察を紹介していますので映画好きの方もそうでない方も楽しんでもらえたら嬉しいです。

ではまた。

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